もう一昨日になっちやいましたが
中国から戻って、休み明けの営業を始めてすぐに
その電話が鳴った。
受話器の向こう 聞き覚えのある優しい声が
今一番聞きたかった声が 確かにこう話してくれた
「心配かけました 仙台の及川です」
後で嫁さんから
電話持って膝から泣き崩れるのを初めて生で見た と言われるくらい
泣いた でもそれは 安堵の涙。
「私、生きてました」 及川さんはこう続けたと思う。
及川さんとは、ベガルタサポーターの友人を通じて知り会いました。
優しい笑顔 細やかな心遣い
そして 熱く優しいベガルタとサッカーへの愛情。
ベガルタの遠征に日本中を駆け巡る行動力には本当に頭が下がります。
大阪に来られた時には ご友人を連れて
必ずCHANTに来てくださった。
オイラにとって 彼女は 仙台のお母ちゃんと言って良い存在でした。
彼女の住んでいる 宮城県七ヶ浜。
震災で この地もあの忌まわしい10mを超す津波に襲われました。
そして 安否不明の日々
中国に居る時も ずっと“連絡あり”のメールを待っていました。
自動車で津波に遭遇し 間一髪で波から逃れ
その後自衛隊に救助され 今は仙台市内の病院に収容されている。
その電話の声はこう続けてくれた
「ありがとねー。テレビみたよー。ACLで、中国行ってたんよね」
「セレッソの人が ベガルタのマフラー広げてくれて・・・・
大阪の人から勇気もらったって みんな喜んでたよ」
携帯電話は、自動車と一緒に流されて 全ての連絡先を失ってしまった。
でも 山東との試合で セレッソサポーターの行動をテレビで見て
これはなんとかオイラに連絡とらなければと 病院に人の力も借りて
CHANTの電話番号を探して 電話をして来てくれたとのこと。
あー サッカーのつながりって 素晴らしいなぁ。
心底 そう思いました。
ただ やはりあの震災で命を落としてしまわれた方々
そして今なお 消息が不明のままの方々を思うと 心が晴れた訳ではない。
及川さんは、こうも話しておられました
「亡くなった人を思うと 本当に申し訳なくて・・・」
「大勢の人たちに助けられた これからいっぱい恩返ししていかないと」
生きているということ
生きて行くということ
それを大切にしていかないといけない
今 強くそう思います。